1/23/2013

DISSLUTION




KOTA




残念です....












が、






事実上の解散らしいです。






そのBLUE PRINTの核と言える、












の下記インタビューをどうぞ。






今月(2012年12月)初め、僕たちがよく知っていたBlueprintチームは活動を停止した。ライダーたちが今後どうするのか、といったことに加え、昔のビデオやプレミア、そしてBlueprintがイギリスのスケート・シーンに与えたインパクトを僕たちに思い出させる。ポール・シャーにLAの彼のベースで会い、インタビューを行った。

PanicからBlueprintへとプロのキャリアがかなり長いけど、どの頃がいちばんエキサイティングだった?撮影していていちばん楽しかったビデオは?
ポール: たくさんあるけどいちばんの思い出は、かなり前の夏にクロイドンにあるフェアフィールド・ホールズでずっとスケートして撮影したこと。その頃はシーンも活気があって、みんな新しいことをやろうとしておりエネルギーがすごかった。葉っぱ吸いながら一日夜までスケートしていた。そのころのクルーはコリン、ベインズ、マギー、フリン、ジェイク、ドミンゲス、ピーター・リー、レイ、ビリー、リー、スキナー。

*グラフィック的に好きだったのはどのころ?Blueprintの美的感覚が最高だったのは?
ポール: 特にこの頃がベストというのはないけど、好きなグラフィックならインベスティゲーション・シリーズ。手にしたときはすごくうれしかったし、このシリーズだけはフルセットでずっと持っていたかったと今でも思っている。1枚は今も持ってるけど、セットじゃないので。誰か持ってないかな?ダンが今もオリジナルのアートワークを持っていて、最高にカッコいい。マギーはグラフィック的な部分を長い間全部手がけていて、「ウエイティング・フォー・ザ・ワールド」の頃の仕事ぶりを見るとBlueprintがやったことに誰も文句は言わせないという感じだった。

*ウエイティング・フォー・ザ・ワールドはバリアを壊し、イギリスのスケートボーディングを前に進めたんだけど、その頃の話を今と比べてしてもらえる?
ポール: Blueprintはイギリス発の最初のブランドのひとつで、スケーターが他の仕事をする必要がないように給料を払っていた。それまではイギリス人のプロといっても金を受け取っているスケーターはほとんどいなかったし、ヨーロッパ全体を見ても商品を受け取るだけというのが普通だった。スケート業界はアメリカで起こっていることがすべてで、みんなそっちのブランドを買っていた。イギリスで幸運にもスポンサーを見つけても、ディストリビュータから物品をもらうフローだった。自分たちがその型を破り、Blueprintとして成功できたのは素晴らしかった。今でも覚えているけど、その頃自分たちのことを、ロンドンをベースにしているだけのブランドであり、イギリスのシーン全体を代表してはいないという見方で嫌っている人が結構いた。ロンドン以外にもバース、シェフィールド、エジンバラなど出身のライダーもいたんだけど。おかしな時代で、今より中身とバカな話がたくさんあって、その時代の一部であることがクールだった。
シェフィールドでのプレミアで「ウエイティング・フォー・ザ・ワールド」を発表したとき、それまでにUKシーンでそれほど注目されたものはなかったので、そのことがBlueprintを注目すべき存在として人々の記憶に残った。これがイギリスのスケートボーディングが正しい方向に進む助けになり、イギリス以外の人の見方も変えてしまった。
今とその頃の違いは、イギリスだけでなく世界中で、すべてが飽和状態にあるということ。昔と違って、リフレッシュさせるもの、他とは違うもの、ハマれるものに出会うことが少なくなってきた。たとえ見つけても、他の数多くのブランドや、ユーチューブ、ビメオなどに埋もれて忘れられてしまう。「ウエイティング・フォー・ザ・ワールド」の頃は、オンライン・ビデオなんてなかったし、ビデオを買ってデッキのなかで巻きついてダメになるまで毎日見続けた。
最近他より抜きん出ているものを見つけるのはむずかしいけど例外は常にあるはずで、だからジェンセンと僕は自分たちが信じるものを作ろうと頑張っている。例えばPolarがやってることはいいと思うし、ポンタスは見せ方がすごくうまく、ジェローム・キャンベルがそこに居場所を見つけてくれて喜んでいる。

*バルセロナとアメリカで長い間快適な暮らしをしてきたと思うけど、ロンドン出身ということでなにか足りないと感じるものはある?
ポール: スペインや今住んでるLAでの生活で感じるのは、友だちや家族に会いたいということ。スペインの頃はそれほど大きな問題じゃなかった。というのも大きなアパートに住んでいて誰でも来て泊まれたし、ロンドンから飛行機で2時間の距離だったので行き来も簡単だった。
ロンドンの慌しさとか喧騒を思い出すことは多い。ああいう都市は世界中でもないと思う。住んでる人、建築物、スポット、混乱。LAに住んでからは親友に会えなくて寂しいけど、だからロンドンに帰ったらできるだけ多くの人に会うことにしている。年に1回か2LAの家にシルヴァンとジェンセンを泊めている。セス・カーティスも来ることがあって、すごく楽しい。あちこち飛び回っているのでそれほど問題もないし、LAには彼女もいるのでハッピーだよ。

*そしてBlueprintを去る決断を下した。このブランドに対する君の情熱とビジョンを考えると、簡単な決断ではなかったはず。この決断に至るまでの状況は?
ポール: こうしようということは自分の心の中の一部分にあったのは事実。なんとかしようとしていたが、やっていることや将来のことを考えないといけないところまで来てしまった。4年間、Blueprintのいろいろな部分をやってきた、スケーター、営業マン、マーケティング、チーム運営、生産とリストは続き、自分ひとりでは抱えきれなくなっていた。すべてをこうあるべきというかたちで行おうとしていたが、やることが多すぎ結果的には無理だった。舞台裏で起こっていたことの多くに自分としては決して賛成できなかったが、そのことを問いただそうとしたり、状況を変えようとしたものの、自分の訴えに耳を傾けられることはなかった。長い間に渡ってブランドに込められたヒストリーとかパッションを知らない人々と仕事をしていると、疲れてしまい、それ以上続けられなくなってしまう。一歩引いて状況を見つめると、ブランド、チーム、自分自身のためにこれらの仕事をすることの意味が見出せなくなった。どんなブランドでも成功するためには努力が必要だが、チームも自分もBlueprintには不満があった。自分がチームを去るまでBlueprintに関係するすべての人が毎日頑張っていたが、そこから得られるものがない状態が続いていたので、ブランドを育てた人々をサポートしないブランドを支え続けることは自分には不可能と思った。

*別バージョンのBlueprintができる可能性は?
ポール: どうもBlueprintのオーナーたちがブランドをそのまま生かして、新たなスタートを切ろうとしてるらしい。自分がBlueprintと分かれてからは、チームの誰もBlueprintとの関わりを持とうとしていなし。そう思ってくれるということは自分にとってすごく大きなことで、全員に今までブランドのためにやってくれたことすべてについて感謝したいし、全員を愛している。これからのBlueprintがどうなっていくかについて多少の興味はあるが、できればオーナーたちにはBlueprintの名前を安らかに眠らせてほしかった。これまでにBlueprintにかかわったすべての代表として言わせてもらえば、以前にBlueprintとして知られていたブランドはもう死んでいる。

DVSチームを率いることでかなり時間を取られると思うが、チームのメンバーは全員新たなチームを見つけられるだろうか?あるいは何かプランがすでにある?
ポール: DVSに関われてうれしく思っている。2001年からサポートを受け、今は舞台裏で手伝えることができてうれしい。確かに時間は取られるが、1日には24時間もあることだし、現在はニック・ジェンセンとともに何か始めようと思っている。Blueprintにいる間ニックとはいい友だちでいられたので、これから起こることを楽しみにしている。クリエイティブな面ではそのブランドは固まりつつある。すべてをうまくまとめて、商品を出すことにわくわくしている。

*イギリスのスケートボーディングは向かう方向は?新しいブランドや新世代のスケーターが出てきているようだが、誰に注目すべき?
ポール: UKは常にエキサイティングだけど、友だちが新しいブランドを始めたり、関わったりしているのを見てうれしく思う。これがあるべき姿で、シーンにとって明るい未来となるだろう。
イギリスのスケーターということなら、今が最高の時じゃないだろうか。たくさん素晴らしいスケーターがいるが、今注目している連中の名前を少し挙げるなら、ニック・ジェンセン、ロリー・ミラネーズ、ジョー・ギャビン、チューイ・キャノン、ジェローム・キャンベル、トム・ノックス、クリス・ジョーンズ、ルーシン・クラーク、ルカ・ピントゥ。

*スケートのビジネスに長年かかわりつつ、ずっと高いレベルで熱中してこれた秘訣は?たいていは少し疲れると思うけど。
ポール: 第一の理由はスケートボーディングが好きだから、やるのも見るのも。ビンセント・アルバレスやニック・ジェンセン、スティービー・ペレス、マデルス・アプセーのようなスケーターがいる限り、スケートボーディングにハマり続けるだろう。幸運にも金をもらってスケートして世界を旅することができる人たちは、自分の幸運を噛みしめて決してそれを当然のように感じてはいけない。これまでの17年間は素晴らしく一生忘れることはないし、自分をポジティブにしてくれるだろう。大抵の人は9時から5時までという枠の外に何があるか知らない人生だろうが、スケートボーダーであることでもっと多くのことを経験することができる。

*今予定しているトリップは?次のビデオ・パートはUKのスポットをいろいろカバーしてる?
ポール: 1月にビザの件でロンドンに戻るので、そのときスケートするのを楽しみにしている。次のGreyのビデオ用に23本クリップを撮りたいと思っている。その次はベルリンでの展示会で、その後Greyとバレンシアへ行く予定。次のビデオ・パートはいつになるかはっきりわからないけど、そのフッテージはいろいろなところで撮ったものになる。

UKへのトリップのときは常にスラムのショップに来てくれるし、以前には丸1日いたこともあった。こちらに帰ったときのショップとの交流はどんなもの?スラムとは?
ポール: ロンドンにいるときはどんなショップよりスラムにいる時間が長い。なぜかアメリカから戻ったときの空港からの行き先はスラムと決まっているみたい。その後クロス・キーズへと向かい仲間と会いペローニを飲む、という流れ。1日スラムにいて仕事したことはなかったと思うけど(ギャラ出ないし)、でも日いたことはあった。雨が降ってたので、ずっと馬鹿な話をしていた。スラムはロンドン・シーンにとってちょっとしたコミュニティ・センターみたいなもので、すべての中心だからそこで集まってその日のスケートを始めるみたいな感じだった。

*ロンドンでのスケートについての思い出は?それと以前と最近の抜きん出ているロンドンのスケーターといえば?
ポール: クロイドンからロンドンに来たころはイースト・クロイドンの駅で8時に待ち合わせて、サウスバンクとかロンドンブリッジ・スケートパークに行っていた。その頃のシーンは今より全然小さくて、スケーターは見下ろされていたし、社会の一般的な人々にも嫌われていた。当時はサポートを受けているスケーターを見つけるのが難しかったけど、そのなかでもカーティス・マッキャンや、少し後の時代のサイモン・エバンズを見かけるとうれしかった。彼らは時代の先の先を行っており、誰も寄せ付けてなかった。二人とももうスケートをしていないけど、自分にとっては彼らこそ過去のロンドンのスケーターそのものだった。今の時代でのロンドンのスケーターとなると、ニック・ジェンセン、ルーシン・クラーク、トム・ノックスというところだろうか。ロンドンで生まれ育ち、今もロンドンに住んでいて、これからの時代の代表となれるという意味で。

*過ぎ去った日々でのカーティスの影響は?実際に見てどんな感じだった?
ポール: スケートボードに乗るために生まれてみたかのようだった。彼のスタイルは他の全員を抜きん出ていた。

休み中なのに時間をとって質問に答えてくれてありがとう、ポール。

ロンドンのスラム・シティ・スケートによるインタビュー(1231日)原文:http://www.slamcity.com/blog/paul-shier-interview/









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